こんにちは。のぼりラボ編集長の石川です。
あまりの暑さに、思わずソフトクリーム二つ持ちで失礼します。熱中症とか怖いですよね。
今回の「のぼりラボ」では「神社」をテーマに取材しました。
神社といえば、祈り・静けさ・厳かさに満ちている、神聖なイメージがありますが、初詣、神前挙式、子供の宮参りに七五三、他にも縁結び・厄年・家内安全・交通安全など、さまざまな節目にお参りする機会も多い場所です。
実を言うと僕自身も、結婚式を広島護国神社でさせていただいています。
あと、初詣も毎年来てますし、子供のお宮参りとか「泣き相撲」など、結構人生の節目ごとにお世話になっていて、本当に地域に根ざした神社だと身を持って実感している一人です。
泣き相撲の様子。号泣する息子よ…
さらに最近では、和文化ブーム、パワースポット巡り、御朱印コレクター、そして「萌え」の対象としての「巫女さん」など、新しい視点での集客や賑わいのトレンドとして注目度が上がっているのだとか。
「今までに無い人の動き」というテーマは、のぼりラボとして見過ごせません。
そこで今回、のぼりラボ検証チームは広島の都心、広島城跡に鎮座する「広島護国神社」を取材。
神職を勤める「権禰宜(ごんねぎ)」の松下和正(まつした・かずまさ)さんを訪ね、祈りと賑わいの気になる関係について、お話を聞きました。
広島護国神社の由来と歴史。全国でも珍しい「特徴」について。
今日は取材をさせていただきありがとうございます。取材に先立って、広島護国神社のホームぺージを拝見したのですが、その由来は他の神社とはちょっと異なるそうですね。
そうなんです。広島護国神社は明治元年(1868年)に、戊辰戦争(ぼしんせんそう)で陣没(じんぼつ)された七十八柱の御霊(みたま)を奉祀(ほうし)したものが起源となります。それ以来、大東亜戦争(だいとうあせんそう)までの戦没者と原爆の犠牲になられた英霊、九万二千余柱をお祀りしています。
いわゆる「地域の守護神としての氏神様」とは違っていますね。そういった事実を知らず、いわゆる「神話的な神様」を祀っていると思って訪れる方も多いのではないでしょうか?
神社ですから、個人的な祈願や祭事にも対応していますから、無理もないかと思います。しかし、そういった由来ですので、他県の一部の護国神社では、ご英霊を祀る神社だから、「一般的な個人祈願を行うのは如何なものか」という考えもありました。
神社の成り立ち上、「もっと厳かな場所であるべき」というお気持ちですね。それも分かる気がします。
取材の日もお祭りの準備が進められていました
広島護国神社は市内中心部と立地もよく、社殿(しゃでん)などの建物は新しく立派ですね。僕も自分の結婚式で利用させていただきましたが、アクセスの良さと設備の綺麗さがゲストに好評でした。現在の姿になったのはいつごろのお話なのでしょうか?
広島護国神社と改称したのが昭和14年(1939年)で、当時は旧市民球場あたりに建っていました。その後、昭和20年(1945年)の原爆投下によって社殿は消失。それでも、神社東側の出入口の大鳥居は被爆に耐え、昭和32年に広島城の入口(中国放送正面)に移転されて現存しています。今は、工事中でご不便をかけていて申し訳ないですね。
そちらも広島の歴史に寄り添う貴重な建造物ですね。その後、戦後復興の中で広島護国神社も復興を遂げたのですね。
現在の広島城跡に遷座したのが昭和31年(1956年)のことです。平成5年(1993年)に本殿・幣殿・拝殿などの造営と一の鳥居や参道の改修が行われ、平成16年(2004年)から平成21年(2009年)までの新築・改築を経て、現在の姿となりました。
今の立派な姿になるまでには、長い時間がかかったのですね。
実際は平成10年(1998年)の御創建130年の節目を目標として計画されていたのですが、広島城跡が国の特別史跡に指定されていたこともあって、色々な手続きが必要でした。「特別史跡」という意味では、広島護国神社は他の史跡に無い特徴があるのですが、お分かりになりますか?
いや…、恥ずかしながら…。それはどういった特徴なのですか?
通常は、国の特別史跡の中に、いわば私有地があるという例は無いと思います。そのため、史跡への車両の乗り入れは原則的には出来ないのですが、ここは当神社があるために例外的に車両の乗り入れが許可されているんです。
駐車場?確かに僕も神社を利用させていただいた時は、毎回車で敷地の中に入ってましたが、それが特別なことだとは知りませんでした。
なにしろ特別史跡ですからね。普通は車の進入は出来ないのですが、全国でもここだけ、参拝者の方の利便性もあって乗り入れができるのです。
「自動車おはらい所」もありました。
広島市内にある代表的な神社として、私たちも身近に感じて手を合わせてきましたが、知らないことや、改めて発見することが沢山あります。
「護国神社」の特徴や由来についても、もう一度意識して、多くの戦争や原爆で亡くなられた魂の安らぎを祈っていただけると、我々も嬉しいです。
広島カープが優勝祈願するファンの聖地。ルーツは1970年代に遡る。
立派な鯉の像。さすがカープファンの聖地!
ところで松下さんは神職だけでなく、祭儀部長という役割もされていますが、広島護国神社で催されている行事には、どのようなものがありますか?
ホームページでも案内していますが、5月には「広島泣き相撲」「万灯みたま祭」が盛況です。みたま祭では夜に提灯が灯り、縁結びを願う一般募集された巫女さんたちによる「みこ踊り」があります。幻想的な雰囲気で、カメラを持って訪れる方も多いですよ。
「巫女」というワードの吸引力でしょうか?いわゆる、「萌え」の効果によるところも…
確かに、非常に限定的な嗜好の人達も訪れますが、参加者や来場者の多くは恒例の神社の祭事として大変賑わっていますね。
なるほど。分かりました。広島護国神社では神社の節目の祭事だけでなくて、独自に行われている祭事も多くあるようですね。
その他神楽共演大会や薪能なども毎年行われています。もちろん戦没者のご遺族や戦友会が申し出る永代祭や慰霊祭など、本来の大切な役割もあります。結婚式や各種祈願についても受け付けており、広く一般の方に利用していただけるように対応しています。
神社という施設の特徴を活かした様々な活動ですね。しかし、それだけに、一定の節度と言うか、派手なだけの賑やかしにならない「神社らしさ」を求める社会の目や、時代の風潮もあると思います。その辺りへの意識はされていますか?
新しい祭事について検討する時は、私たちが他の地域や神社の参考になる情報を探したり、実際に視察などもさせていただくことがあります。そうした見聞きしたことを持ち寄ってアイデアを出し合い、取り入れるようにしています。
会社の経営と似ていますね。広島護国神社の格式や歴史とマッチさせながら、いろいろチャレンジされているということかと思います。
基本的には信仰に伴うものであると同時に、地域の皆様に喜んでもらえる神社として、記念になる行事となればと思っています。例えば護国神社の参拝者が大幅に増えたのは、昭和46年(1971年)に昭和天皇・香淳皇后さまが御親拝されてからと聞いていますが、その後、広島カープの初優勝をはじめ、御在位五十年を記念して神社独自の祭事も行われるようになったという流れがあります。「みたま祭」などはその代表ですね。
カープといえば毎年の優勝祈願で、チーム全員が揃い、こちらへ参拝される様子はニュースでよく拝見します。
最近では、カープのユニフォームを着た人達が、試合前に多く参拝にいらっしゃいます。マツダスタジアムからは少し距離がありますが、県外から観光を兼ねて参拝される方も多いようです。試合前の必勝祈願ですね。もちろん私たち神職も応援しております。
まさしく広島護国神社は「勝利を願うカープファンの聖地」のようですね!
広報宣伝はインターネットのクチコミ効果大!のぼりや幕の話は意外な展開へ…
神社としての広報活動はどの様にされているのでしょうか?
情報発信や認知を広めたりする上では、ホームぺージが中心となっています。また最近では、参拝された方のブログやSNSによる、クチコミでの広がりも大きいですね。それから初詣シーズンに合わせて、新聞広告を毎年出稿・掲載しています。これは「公共交通機関を利用してお越しください」という神社からのメッセージが強いですね。
神社庁のポスターや来られた方へ配布する案内の印刷物も見られますが、どちらかと言うと、どれも宣伝色は強くありませんね。神社と言う場所の特性でしょうか。のぼりや幕も見られますが、こちらは神社におなじみの装飾ですね。要所で目印や誘導に使われているようです。
布製の幟などは付き合いの長い染物店に発注しているのですが、祭事や季節に合わせ取り替えていますね。
因みにそれは、ポップジャパンでしたというオチでは…
残念ながら違います(笑)ただ、ポップジャパンという名前には聞き覚えがあります。もしかしたら以前は違う社名ではなかったですか ?
え!?そうです。ご存知だったのでしょうか?
以前にお付き合いがあったように記憶しているのですが。場所も広島市内でしたよね。
全くその通りです。40年以上の歴史がある会社なので、過去には私たちが知らないような接点があったかもしれません。
これもご縁でしょうか。また立ち寄ってみてください。
ありがとうございます。
戦後70年、神社の将来も新しい世代の中へ。創建150年の節目へ向けて今やるべきこと。
一般的なお店や企業、イベントスペースなどと違って、やはり神社が集客や利益追求に積極的というイメージは浮かばないのですが、実際のところはどうなのでしょうか?
もちろん神社は利益を追求するところではありません。しかし戦後も70年を越え、70代のご遺族が「最もお若い世代」となると、これは現実的に考えて慰霊を次の世代へ引き継いでいただく時期でもあります。そして神社としても永続していくためには、ある程度の経済的な基盤も大事なことです。
例えば、最近は女性の間で「御朱印ブーム」が話題にもなっていますよね。広島護国神社でもオリジナルの御朱印帳と御朱印があると聞きました。
ありますよ。広島城の別名「鯉城」をモチーフにした鯉の図柄です。ちなみに広島が鯉とつながりがあるのは、かつて鯉が献上物だったという説があります。城の形が鯉に似ているからとも伝えられてきました。広島カープの名前もこの鯉城に因んでいますが、広島の鯉は赤い鯉ではなく、黒い鯉が主だったようです。
そういえば広島カープも最初から赤ヘル軍団ではなかったそうですね。何がけん引役になるものか、時流の不思議さを感じます。
あと、こちらは巫女さんのデザインでして…
あ、これはちょっと「萌え」への意識を感じますね。
そこの判断はお任せしますが、御朱印は縁起ものですからね。それに、折からのパワースポットブームもあってか、広島護国神社の敷地内にも、特別なスポットがあるのかと尋ねる人も居るようで、神社の授与品として可愛いデザインのものも人気があります。
僕も参拝者の一人として気になります。
鯉おみくじ。ディテールが凝っててカワイイ。
海外からの観光客や、女性の参拝が増えているのは、最近の傾向ですね。背景には和文化ブームの流れがあると思います。日本や神社に強く興味を持つ人は文化やしきたりを理解し、尊重する気持ちが強くて、マナーがとてもいいですし、なるべく正しい参拝をしようとされていますね。
神社の側からしても、強く興味を持たれている人というのは歓迎したいのではないでしょうか。
そうですね。来年は広島護国神社の創建150年に当たります。その節目に合わせ、残されている多くの遺品を整理して、図録にしていく取り組みが現在進行しています。
それは意義のあることですね。
これは今だからこそできる大切な事業だと考えています。ご遺族の方、関係者もいつかは世代が交代していきます。ここに祀られている魂の平穏を継続するためにも、神社の収支安定を図り、思いを伝えていくことは大切なことです。
今回は、改めて広島護国神社の役割と思いを知る機会になりました。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
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今回、取材に訪れた広島護国神社は広島市の中心部にあって、広島市民との馴染みも深く、街の代表的な神社として親しまれています。
しかし、「護国神社」という成り立ちと由来について深く知らず、他の神社同様に「神話的な神様」を祀っていると思われている人も多いようです。
戦没者の魂を慰霊し、英霊の力でもってして国を護って頂こうという願いと祈り。
それ故に、派手な催しは控えて静かにお参りする場所であるべきという考えは、とても理解できるものです。
しかし、有り難くも70年以上続く平和な時代にあって、かつての戦争の記憶や犠牲になった方々の魂を後世に伝えていく施設として「護国神社」は、今後も未来永劫存在し続けなければなりません。
神社の安定した運営を支える収入。そしてその為の各種催しは、適切な配慮の下で継続されなければならいと考えられます。
のぼり旗や提灯は、その賑わいや神事の目印のお手伝いとして。そして幕や各種の衣装は古来の伝統であり、その場の意味を表すアイテムとして、広島護国神社では使われていました。
たくさんの提灯が用意されている
広島護国神社が、これからも人々の願い、祈り、癒し、そして平和の礎となった御霊への感謝の気持ちを受け止め続けるために、時流にマッチした装飾や演出もまた必要とされます。
神社としての格式を重んじながら人々の心に寄り添い、そして同時に世の中の動きに沿いながら、新たな人の流れにも対応すること。
難しいバランス感覚ではありますが、平和都市広島に建つ「護国神社」がこれからも人々に必要とされる意味とは何なのか。
私達広島の企業として、今年もまた訪れる暑い季節を前に、改めて考えてみたいと思いました。
広島護国神社
〒730-0011 広島市中区基町21番2号
TEL 082-221-5590 FAX 082-223-8830
HP https://www.h-gokoku.or.jp/
ご協力いただき、ありがとうございました。
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